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向江 璋悦
(むかえ てるよし)
明治43年(1910)〜昭和55年(1980)
明治43年(1910)2月19日、向江勇蔵・屋乃夫婦の二男として生まれる。父勇蔵は羽咋郡粟ノ保村字粟原で田んぼを耕し、農閑期には鉄道工夫をしていたが、璋悦が一歳半の時、事故死。母屋乃が女手一つで家計を支える苦労を見て育つ。
村立尋常小学校(現粟ノ保小学校)を卒業後、大阪に奉公に出て、大正15年(1926)働きながら、私立成器商業学校夜間部へ編入する。
昭和5年(1930)に上京し、私立専修大学予科入学。日銀理事の吉井家で書生をしながら、中央大学専門部法科に編入、昭和9年(1934)に璋悦を含めた有志で中央大学真法会を創設。真法会は国家に有益な人材を育成することを目的とし、法律を学ぶ者が互いに研鑽するための会で、多数の法曹家を輩出する。
昭和10年(1935)高等文官司法科試験に合格。検事となり転勤を重ねるが、次代の法曹家育成に力を尽くすべく、検事を退職。弁護士登録する一方で、真法会で本格的な指導を始める。自身の研究成果をまとめた『死刑廃止論の研究』により、昭和37年(1960)3月、博士号を授与される。
昭和55年(1980)70歳で没した。
| (年号) |
(西暦) |
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(で き ご と) |
| 明治43 |
1910 |
2.19 |
向江菊松(璋悦)、新潟県親不知で生まれる |
| 明治44 |
1911 |
11.12 |
父勇蔵、京都の工事現場で事故死 |
| 大正5 |
1916 |
4月 |
粟ノ保村立尋常小学校入学 |
| 大正11 |
1922 |
3月 |
粟ノ保村立尋常小学校卒業。大阪市西区の杉本薬店に勤務 |
| 大正15 |
1926 |
4月 |
大阪市西成区の松浦パイプ工場に転職し、試験勉強を始める |
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9月 |
私立成器商業学校夜間部1年に編入 |
| 昭和4 |
1929 |
9月 |
私立上宮中学校4年に編入。新聞配達員となる |
| 昭和5 |
1930 |
3月 |
上宮中学校4年修了。第四高等学校を受験するが持病のため断念 |
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4月 |
上京し、私立専修大学予科入学。日銀理事の吉井家で書生となる |
| 昭和6 |
1931 |
3月 |
私立中央大学専門部法科2年に編入 |
| 昭和8 |
1933 |
4月 |
中央大学法学部(夜間)に進学 |
| 昭和9 |
1934 |
11月 |
中央大学真法会創設 |
| 昭和10 |
1935 |
11月 |
高等文官司法科試験最終合格。成績は303人中の3番 |
| 昭和11 |
1936 |
3月 |
中央大学法学部卒業 |
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6月 |
司法官試補に採用され大阪に赴任 |
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11月 |
水野知恵子と結婚 |
| 昭和13 |
1938 |
6月 |
神戸地裁検事局で検事となる |
| 昭和20 |
1945 |
10月 |
中央大学真法会理事になる |
| 昭和21 |
1946 |
3月 |
検事を依願退職、弁護士登録 |
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10月 |
中央大学真法会常任理事になる |
| 昭和23 |
1948 |
6月 |
贈収賄疑惑が昭和電工事件に発展、主任弁護人になる |
| 昭和25 |
1950 |
10月 |
中央大学真法会理事長になる |
| 昭和32 |
1957 |
12月 |
本名の「菊松」から「璋悦」に改名登記する |
| 昭和37 |
1962 |
3月 |
「死刑廃止論の研究」により法学博士号授受 |
| 昭和38 |
1963 |
10月 |
中央大学真法会第2代会長になる |
| 昭和42 |
1967 |
6月 |
羽咋市に市体育大会総合優勝旗寄贈 |
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9月 |
母の屋乃、死去。享年83歳 |
| 昭和55 |
1980 |
3.25 |
璋悦、死去。享年70歳 |
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