|
倉部 東雲
(くらべ とううん)
明治25年(1892)〜昭和32年(1957)
明治25(1892)年、床屋の三男として羽咋町に生まれる。本名は三郎平。
明治42(1909)、17歳の時に邑知俳壇に入り、その後、「沢光社」、「蟻の塔」に参加するなどして俳句の腕をみがき、俳句結社「鰉(ひがい)吟社」を結成する。同時に、北国俳壇同人としても活躍。また、県下においてはじめての川柳結社「ひこばえ川柳社」を創設し、仲間と柳誌『夢の小夜』を発行する。
「カメラ」雑誌に何度も入選したり、若い頃は千里浜で行われた自転車レースで好成績を納めたりするなどスポーツマンでもあった。
あらゆる分野で働く職業人たちと共に、俳句、川柳や俚謡の熱心な句作活動を展開し、羽咋文芸の基盤を作り、県内はもちろん全国的にも知られるようになった。
一方で、横浜、東京で西洋洗濯技術を身につけて帰郷し、羽咋で初めて本格的に創業。多くの職業が生業的であった時代、立体広告看板やキャッチコピーなどさまざまな新しい経営方法を展開した。
| (年号) |
(西暦) |
|
(で き ご と) |
| 明治25 |
1892 |
|
8月7日、床屋の三男として羽咋町に生まれる |
| 明治38 |
1905 |
|
羽咋高等小学校卒業 |
| 明治42 |
1909 |
|
邑知俳壇に入り、俳句を学ぶ |
| 明治43 |
1910 |
|
千里浜海岸での自転車レースに出場 |
| 明治44 |
1911 |
|
横浜、東京へ出て、西洋洗濯技術を学ぶ |
| 大正5 |
1916 |
|
帰郷し、羽咋町で最初の西洋洗濯業を開業 |
| 大正10 |
1921 |
|
「ひこばえ川柳社」創立。『夢の小夜』発刊 |
| 大正12 |
1923 |
|
北加賀川柳会と合同し、『茅花』発刊 |
| 大正13〜昭和3 |
1924〜1928 |
|
北国新聞や東京アルス社『カメラ』、東京朝日新聞社『アサヒカメラ』等で写真多数入選 |
| 昭和4 |
1929 |
|
羽咋俚謡大会・俚謡研究「花菱会」結成 |
| 昭和5 |
1930 |
|
福岡一瓢主催の「矢車草」羽咋支部結成 |
| 昭和7 |
1932 |
|
6月7日、東雲が中心となって作った「羽咋小唄」のNHK放送に参加 |
| 昭和9 |
1934 |
|
俳句結社「鰉吟社」創立。句会活発化 |
| 昭和11 |
1936 |
|
11月29日、NHKマイクスナップ「羽咋町風景」に当時の釜谷町長等と出演。「羽咋小唄」を解説 |
| 昭和24〜28 |
1949〜1953 |
|
石川県俳文学協会理事、羽咋文化協会役員、羽咋町商工会評議員、公民館専門委員に委嘱される |
| 昭和32 |
1957 |
|
4月25日、65才で死去。 |
|