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羽咋のあらまし
本市域の名は、万葉集に「波久比」と記されており、平城京址出土の木簡には、「羽咋」(はくい)とあり、開発神を祀る羽咋神社の社記では「羽喰」(はくい)としています。江戸期になって旧名の「羽咋」に統一されました。市制施行は1958(昭和33)年です。
歴史的には北部・東部山麓には縄文遺跡や多くの古墳が、中央の平野部では国史跡である吉崎・次場遺跡をはじめとする弥生遺跡が、また砂丘や海岸段丘上には古代の遺跡がたくさん分布しています。その中で特に注目されているのは寺家遺跡であり、古代気多(けた)神社との関連性が指摘されています。
中世になると曹洞宗の永光寺(ようこうじ)や日蓮宗の妙成寺(みょうじょうじ)が開かれ、近世には、東往来の飯山(いのやま)村と西往来の一ノ宮村が宿駅に認定されます。一方、邑知潟(おうちがた)の新田化が進み、海辺の若者は北前船に乗り組んで活躍しました。
明治以降、本市域の主産業は農業のほか繊維、機械、観光へと急速に変容していきます。
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