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  • 最終更新日時 2015年12月2日(水曜日) 09時20分
  • コンテンツID 2-23-20-2256
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折口信夫父子 ゆかりの地

情報発信元文化財室  

折口信夫父子 ゆかりの地を紹介

折口信夫父子にまつわる歌碑などを紹介します。

■折口博士父子の墓(羽咋市一ノ宮町)

 「もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる
   むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫の墓」

 折口信夫が折口春洋の死を嘆き、自ら墓碑を選定、昭和24年に春洋の生家
 藤井家の墓地に建てたものです。


■折口信夫父子の歌碑(気多大社境内)

 ●折口信夫の歌碑
 「気多のむら 若葉くろずむ 時に来て
   遠海原の 音を聴きをり」

 昭和2年6月、折口が春洋ら学生を伴い初めて口能登を探訪したときに
 詠まれた歌です。

 ●藤井春洋の歌碑
 「春畠に 菜の葉荒びし ほど過ぎて
   おもかげに師を さびしまむとす」

 昭和19年、春洋が金沢駐屯中に面会した師の折口を思い、詠んだもの
 といわれています。


■折口博士の句碑(気多大社の裏手[池のほとり])

 「くわっこうの なく村すぎて 山の池」

 折口信夫博士没後10年にあたる、昭和38年9月、的場町の高井松涛氏の
 寄進により、気多大社「入らずの森」裏手の池のそばに建立されたもの
 です。
 句は、昭和21年4月に、折口信夫が大社焼の小皿に書いた句をもとにして
 います。


■石川県立羽咋高等学校・校歌の歌碑(羽咋市柳橋町 羽咋高等学校敷地内)

 折口揮毫の歌碑(折口作詞の校歌)  
 「沙丘に 朝の日ぞのぼる。みな出でて見よ 水や空。
  深き心は海に得て 知識いよいよ明らかに、
  天つ空より ひろき胸 世にまじはらむ。輝やかに。
  古國 能登に生いたち 使命は いよよ若わかし。
  ああ 新しき日本と、我等は在らむ。とこしえに」

 昭和24年7月、折口が春洋と自身の墓碑建立のため藤井家を訪問した際に、
 羽咋高校校歌の作詞依頼を受けたものです。学校に詞が贈られたのは、
 昭和26年3月でした。



≪折口信夫≫
 明治20年(1887年)、大阪生まれ。
 国学者、民俗学者であり、國學院大学と慶応義塾大学の教授をかねる
 一方で、歌人としても得意な才能を発揮しました。
 門弟であった藤井春洋との出会いから、たびたび羽咋を訪れます。
 昭和19年(1944年)7月、公私共に信頼をおいていた春洋を養子に迎えます。
 昭和28年(1953年)9月3日没。遺骨は本人の希望通り春洋の眠る父子墓に
 埋葬されました。


≪折口(藤井)春洋≫
 明治40年(1907年)、羽咋市一ノ宮生まれ。
 金沢第一中学校を経て、大正14年(1925年)國學院大學予科入学。
 同時に折口主宰の短歌結社「鳥船社」に参加。
 昭和11年(1936年)國學院大學教授に就任しますが、太平洋戦争で召集を
 受け、昭和19年(1944)7月硫黄島に着任。それと前後して折口の養子となります。
 昭和20年(1945年)3月19日、硫黄島方面で戦死。38歳でした。


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